角の酒屋の外に置かれた木箱に、赤い三角のステンシルが押されている。角が二つ欠けているそれは、デザイナーではなく、瓶詰めラインの責任者が、ドライバーに正しい向きで積んでほしくて描いたものだ。誰も署名していない。企画書で三案から選ばれたわけでもない。それでも、たいていのリブランドより長く仕事を続けている。
こういう印を、あちこちで見つける。ガスボンベの黄色い菱形。引っ越し用の段ボールに引かれた二本の平行線——「この面を上に、二度聞くな」という意味だ。コンビニの搬入口に、開店前の朝六時、誰にも見られるつもりのないまま押されたパレットの矢印。どれも好かれるために作られてはいない。急いでいる誰かに、一度きり従わせるために作られた。そしてそれが、結局はより難しく、より優れた課題だったのだ。
今週、業界紙で話題になっているリブランドは、自分がすでに印を持っていたことに気づいたという話だ——古い機械についていた安全マークを、そのままアイデンティティとして復活させる。うまい手だし、少しずるくもある。好かれようとしたことのないものの説得力を、借りているのだから。安全マークは、伝え損なうことができない。ロゴが直面しない結果が、そこにはある。うまく畳めなかった箱、横倒しになったボンベ、酒が気の抜けた状態でトラックに積まれてくること。
銀座では逆のことを教わった。まず印を作り、単純さはあとから、運が良ければ手に入れる。それを教え直してくれたのが、あの木箱だった。この街の最高の印は、もともとブランドになろうとしていなかった。倉庫や、階段や、夜明けのトラックの荷台との接触を生き延びようとしていただけで、その条件下で読み取れることは、結局よくデザインされていることと見分けがつかなかった。あの版を刷った誰も、書体のことなど考えていなかった。考えていたのは、ドライバーのことだけだ。箱を落とさせないこと。
デザインの学校では教えない近道がある。制約とは、説得する必要のない唯一のクライアントだ。ロゴは会議室を生き延びなければならない。積み荷の矢印は、雨の朝五時、何度も使い回されて角の丸くなったステンシルを通して描かれながら、荷降ろし場の向こうからでも意味が伝わらなければならない。それが課題のすべてで、それを満たした人は、一度もそれをブランディングと呼ばなかった。
木箱の三角は、いま色褪せかけている。赤は、置きっぱなしの煉瓦のような色になった。季節が変わる前に、誰かが同じステンシルを使い、同じ場所に立って、それを塗り直すだろう。正確に、流行とは無関係に、正しく。
荒川蓮は足立区の荒川沿いで育ち、銀座のデザイン事務所で5年間ロゴを引いたのち、字を詰めるより字について書くほうが面白いと気づいた。駅の看板、米袋、レシート——東京を一枚の組版として読む。神田の印刷所の二階でHakkenを編集している。