ラチェットバインダー——トラックの荷台に材木を積んだ運転手が、鋼のレバーでぐっと締め上げるあの結束具——を、今週まで二度見したことは一度もなかった。
ところが今週、同じフィードにこの手の地味な改良が三つ続けて流れてきた。握ったときに指の関節を挟まないよう直されたバインダー。かつてはコンプレッサーが要ったのに、今はコンセントひとつで済むワークベンチ用の真空固定具。落とされても壊れないよう作られた、写真映えより耐久性を選んだ折りたたみナイフ。どれもデザイン年鑑には載らない。だがどれも、旧型を実際に使って、うんざりして、悪い一点だけを直した誰かの手つきがはっきり見える。
炊飯器の下の引き出しを開けるたびに、同じことを思う。内蓋には今も、親指が触れる場所にちょうど二センチの蒸気が溜まる。銀座のスタジオならそれを「UXの欠陥」と呼ぶだろう。うちの母はそれを「炊飯器」と呼び、三十年間文句も言わずそこで指を焼いてきた。
これは西洋のスタジオが日本について見落としがちな部分であり、同時にときどき正しく捉える部分でもある。ここにある本能は、炊飯器を作り直してマニフェストに仕立てることではない。ラチェットストラップの縫い目と風呂敷の結び目が、実は同じ問題——名前のない緊張をどう支えるか——を解いていると静かに気づき、リブランドを発表する代わりに、あと十年やすりをかけ続けることだ。ラチェットストラップを誰も写真に撮らない。三年後、その後継機の発表イベントは誰かが撮り、それを「ヘリテージ」と呼ぶ。
私の机の下、神田の印刷所では、店主の父親の代からすでに古かったギロチン刃が今も回っている。研ぎ直しすぎて刃面がへこんでいる。それでも店主は買い替えない。新しい刃は切れ方が違う、この刃の切れ方だけを四十年かけて覚えたのだから、と言う。トレンドレポートを一文にまとめるなら、これに尽きる——レーダーに映らない道具ほど、たいてい今もちゃんと仕事をしている。
ムードボードの代わりに、その刃の写真を机の上に貼っている。この部屋で、私に何かを売りつけようとしていない唯一の画像だ。
荒川蓮は足立区の荒川沿いで育ち、銀座のデザイン事務所で5年間ロゴを引いたのち、字を詰めるより字について書くほうが面白いと気づいた。駅の看板、米袋、レシート——東京を一枚の組版として読む。神田の印刷所の二階でHakkenを編集している。