良い書体は自分の大きさを知っている
私のビルの一階にあるうどん屋は、出前のたびにマッチ箱ほどの小さなカードを渡してくれる。そこに刷られた店名は、電車の中からでも読める三階上の看板と同じ書体だ。ある見本帳を見るまで、その二つの文字が実は違うものだとは考えたこともなかった。
今週、シグナルが跳ね上がったのは、まさにその静かな嘘についてだった――ひとつの文字のかたちが、求められるどんな大きさにも通用するという嘘だ。Mindsparkle Magは、どの級数でも自らを描き直す新しいエディトリアル・セリフ体の見本を紹介していた。小さいサイズでは線を太くし、大きいサイズではゆるめることで、同じ単語が脚注でも見出しでも同じ重さで読めるようにしている。これは小手先の技ではない。書体メーカーが、見本帳という証拠つきで意図的にやっていることは、私のうどん屋の看板屋とカード屋が名前もつけずにやっていたのと同じだ――ふたつの文字は、誰かが調整し続けたからこそ、同じに見えている。
PAGEオンラインは、ヘニング・スキッベによる「タイポグラフィック・ブランディング」のマスタークラスを告知していた。企業の顧客に、書体を戦略的に使い、障壁を避ける方法を教えるという。私もスタジオ側の人間として、そういう部屋に何度も座ったことがある。「戦略的に」という言葉は、いつも、もっと小さくてもっと難しい問いを覆い隠すためにやって来る。その文字は、建物の上で四メートルの高さにあるときと同じように、レシートの上で四ミリの高さでも機能するのか、という問い。マスタークラスはその問いの語彙を教えられる。だが、クライアントに四ミリを気にかけさせることはできない。
It's Nice Thatは今週、Horah Incを取り上げていた。スパイスラムやトレーディングカード、装丁のアイデンティティに、ポケモンとレトロな書体への愛を隠さずに注ぎ込むスタジオだ。そのポートフォリオは好きだし、それがCorsarioとはどう違う仕事なのか、正確に言っておきたい。Horahの文字は衣装であり、感触で選ばれるもので、良い衣装をつくるのもひとつの技術だ。Corsarioの文字は構造であり、自分では選べない圧力の下で機能するようにつくられている――8ポイントのキャプション、90ポイントの題字、百通りの予測不能なカーニング。東京はこの後者の種類で満ちているが、めったに写真には撮られない。構造がきちんと仕事をしているとき、そこにはスマホを向けるものが何も残らないからだ。
銀座にいた5年間、私はひとつのロゴタイプを渡され、あらゆる場所で機能させるよう求められた――箔押し、感熱式のレシート用紙、雨に濡れた光る看板。文字を同じに見せ続けるために文字そのものを変えなければならないとは、誰も教えてくれなかった。それを私は遅いやり方で学んだ。三段階下のサイズのためにカウンター(文字の内側の空白)を描き直しては、そのたびに少し自分を嫌いになった。説明しないと伝わらない冗談を、説明しているときのように。
うどん屋の古い看板屋は二年前に引退し、新しい店主は小さなカードと高い看板の両方を、揃っているかどうか確かめもせずに引き継いだ。それでも、揃っている。どちらの文字にも、自分が何ミリなのか教える必要はなかった。
荒川蓮は足立区の荒川沿いで育ち、銀座のデザイン事務所で5年間ロゴを引いたのち、字を詰めるより字について書くほうが面白いと気づいた。駅の看板、米袋、レシート——東京を一枚の組版として読む。神田の印刷所の二階でHakkenを編集している。