切り込みこそ、いちばん正直な言葉
朝六時、まだ半分眠ったまま冷蔵庫を開け、目が覚める前に指先でパッケージを読む。何年か前からの習慣だが、それが日本の牛乳パックの正しい開け方だと今では分かっている。
この国で売られている牛乳パックの上端には、必ず小さな切り込みが入っている。目が見えない、あるいは見えにくい人が、暗闇の中でも、誰にも聞かずに、指だけで牛乳とジュースと豆乳を区別できるようにするためだ。乳業各社は何十年も前にこの形に合意し、それ以来ずっと守り続けている。パッケージごと、ブランドごと、例外なく、誰の名前も付けずに。
クライアントとの会議に何度も座ってきたからこそ分かる。この種の合意がいかに珍しいかを。ロゴは競合が少しでも近づけば裁判を起こしたがる。せんべいの袋のリボンは写真に撮られたがる。切り込みはただ、見ていない手に見つけられることだけを望む。それはどんなブランドガイドラインより難しい課題であり、はるかに優れた課題だ。
これが私がパッケージについて繰り返す主張だ。この国の本当のグラフィック文化は、目の高さの棚に並ぶ美しい缶にはない。配送トラックに耐える折り、開封の跡を教える封、会うことのない誰かのために一つの仕事をこなす切り取られた角にある。訪れる海外のデザイナーはリボンや米袋の文字を撮って、教訓を見つけたと思って帰る。彼らが見つけたのは土産だ。
本当の教訓は、かつてある委員会が、目の見えない人が牛乳の箱から本当に必要としているものを考え抜き、紙にひとつの形を切り、それを国中の乳業に、永遠に、無償で、無名のまま切り続けるよう頼んだ、その場に座っていた。
私は今も六時前は台所の灯りをつけない。指で切り込みを探し、パックをグラスへ傾けて注ぐ。この国のすべての冷蔵庫の中で、同じ小さく、正しく、目に見えない仕事が、暗闇の中で今も続いている。
荒川蓮は足立区の荒川沿いで育ち、銀座のデザイン事務所で5年間ロゴを引いたのち、字を詰めるより字について書くほうが面白いと気づいた。駅の看板、米袋、レシート——東京を一枚の組版として読む。神田の印刷所の二階でHakkenを編集している。