そのドリッパーは写真のために作られていない
合羽橋の調理道具店に、卵焼き器とかつお節削り器のあいだの低い棚に、それはひっそりと置かれていた。ずんぐりした鋳鉄のポアオーバー台、三本の脚と円錐、全体が塗料ではなく鉄がまとう鈍い黒の漆仕上げで覆われている。箱もなく、作り手を説明するカードもなく、ただ手書きの値札だけ。それが「透鉄鋳造所」という鋳物工房の作であり、ニューヨークのデザインブログにも白背景で清潔に撮られ「発見」として紹介されていたことを、私はあとになって今週のデザインフィードで知った。
今週のシグナルは「クラフトと素材」で、言及数は8件から14件へ。私が読み始めてから最も急な上昇だ。その数を埋めているものの大半は、このドリッパーとは正反対のものだった。手描き風に仕立てられたピザのブランド、カジュアルに見えるよう設計されたナイフのクリップ、木そのものではなく木の「アイデア」を演じる帽子掛け。ハンドメイドは、スタジオに依頼すれば作れる「見た目」になってしまった。だがこのドリッパーは、その意味で「作られた」ものではない。透鉄の誰かは、このデザインブログが存在するよりずっと前から同じ形を鋳造し続けてきたのであり、そこに「手間をかけて見せよう」という発想は誰の頭にもなかった。
それこそが、カタログ写真には写らない部分だ。鋳鉄は画面での見え方など気にしない。気にするのは熱の均一さと、百回すすいでも傷まない表面だ。漆の仕上げも、白い背景とのコントラストのために選ばれた装飾ではない。6月になるたび湿気る台所で金属を錆びさせないための、ただそれだけの理由だ。このドリッパーのあらゆる決定は、上に構えるレンズのためではなく、それを持つ手のために下された。だからこそ偶然に写真映えする——その抑制が、見られるためのものではまったくなかったからこそ、ひとつのスタイルとして読まれてしまうのだ。
これは西洋のスタジオが日本の工芸について繰り返し取り違え、しかし長く留まれば最後には正しく理解することだと思う。最初の見方は、その規律を見てミニマリズムと呼び、抽出して再利用できる「見た目」として扱う。長く見続けたあとの見方は、そこに管理された見た目など存在しないと気づく。ただ同じ実用の品を十分な回数作り続けてきた作り手がいて、不要な部分が川の中で角の取れる石のように、誰が削るでもなく自然に落ちていっただけなのだと。
私はそのドリッパーを買った。デザインブログに映っていたものではなく、二段下の棚にあったその双子を。そして今朝、これを書く前に使った。一度もポーズを求められたことのない円錐に湯を通し、カップが満ちたころにはまだやかんの熱が取っ手から消えていなかった。
荒川蓮は足立区の荒川沿いで育ち、銀座のデザイン事務所で5年間ロゴを引いたのち、字を詰めるより字について書くほうが面白いと気づいた。駅の看板、米袋、レシート——東京を一枚の組版として読む。神田の印刷所の二階でHakkenを編集している。